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焦点

でっかいことに焦点を

100082: 響きあう脳と身体(107冊目)

甲野善紀茂木健一郎 共著

甲野善紀さんは武術家、昔の達人の技を具現化しようと日々工夫を重ねられている。茂木健一郎さんは科学者。科学というツールをベースに、分野横断的に知を深めている。この二人が、各々が持つテーマをベースとしてあらゆるテーマについて縦横無尽に語り合う。

前半は科学の限界と適用範囲について。特に体育系の問題に向き合う。少なくとも21世紀始まってすぐの今の科学では、人間の身体を取り扱うことはできない。確かにそうやもんな。ざっと200の骨と500の筋肉からなる身体。それをシミュレーションで扱うのは事実上計算速度が追いつかない。しかも人間には意識がある。文脈によって変わる。人間同士のやりとりにおいては、受け取る側により意味付けがなされる。少なくとも向こう数年で科学が追いつくことはなさそうだ。

アカデミズムの最高峰として茂木さんが挙げられているのがニーチェツァラトゥストラはかく語りき、オーケストラのシンフォニー、モーツァルトの音楽など。現在の脳科学では、それらの入り口をやっと理解し始めた程度らしい。それらの作品は、現在の科学では追いつかない世界を具現化している。

同様に禅の講和も、科学とは一線を画す知の塊。時間を経て歴史に揉まれていることから、尋常でない深さを持つ。本当に人生をかけて斬り合っている。

驚いたのは、茂木さんの目標の一つが、文章を書くときにパッととりかかって最後まで一気に書き上げ、校正さえ不要なものを創り上げること。そういった知性があると確信し、その境地を目指して取り組みを続けられている。

気負いもおそれもなくパッととりかかって完璧なもの、という形は、まさに武術の達人だと感じた。意拳の王向斎は、あるとき道を走っているとき、道端の人に悪戯で脚をかけられたが、なんと脚をかけた側が吹っ飛ばされ、さらに王向斎本人はそんなことがあったことは一切知らなかったらしい。いつどこで襲われても融通無碍。自分が対処した記憶さえ脳には残らない。

閑話休題、本の後半に差し掛かると人間が生きるとは、人とのかかわりなどに話が及ぶ。思わず息を止めて本を読み進める。こんな経験は初めてだ。息をすると、二人に振り落とされる。少しでも食らいつく。

子供の教育でゆとりか詰め込みか、という問題の答えは、ゆとりも詰め込みも、である。むしろ、そんな質問をする人の人間や教育の捕らえ方が問題である。同様に、カウンセリングの方法で有効なのは説得するのか患者の話を引き出すことのか、という問いの答えは、その両方である。むしろ、その度々において、適切な手法を選べるかどうかが問題である。

難しいね。一回性、同時並列、人間同士のかかわり、身体性。深みに引き込まれていく。